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二つのSL

昔 そこにはひとつの町がありました。

雪のかぶったSL 5-96 と 客車、食堂車(旧新内駅)

でも面影といえば、今、ウェスタン乗馬の建物になっている元の駅従業員住宅、一段高くなったプラットフォーム、そしてその脇で大きくなった老木のスモモぐらいです。

スキー客でにぎわう新内駅

旧新内駅の周りには郵便局もあったほどけっこうな人達が住んでいてそうです。そのエリアだけで生活必需品は調達できるくらいに・・・。
冬の一日、スキーを担いだお客さんが新内駅を降りて行きます。ただ一回、滑り降りることを楽みにサホロの山に歩いて登るスキー客でした。

汽車は急勾配の狩勝峠を越えるために、重連、三重連でした。客車の後ろにもSLを連結して峠を越えて行きました。


春近いある日、そこには申し訳程度に掛けられた黒い幌のそれが有りました。かなり管理のよろしくないSLと寝台車です。それにしても、道内でもSL単体で展示されている所は結構あるもの、客車が3連結されて展示されている所はあるのでしょうか?

客車は以前はどこの町にでもあったSLホテルでした。夏の行楽シーズン、今でも間違えて?宿泊に来られるお客さんがいるそうです。さすがに今時期これだけ雪に埋まっていては泊まる気にはなれないでしょうが・・・。

そういえば、以前旅をしていた頃、大樹町のSLホテルに宿泊した事がありました。偶々、第一号宿泊客だった私は、町の理事者らしき人達と一緒にパーティーまで参加しました。花火まであがりました。 その町の基幹産業の今では名称を変えた有名なカマンベールチーズまで一号記念にもらってしまいました。

あのSLホテルはどうなったんだろうか?

雪が吹き貯まって半分隠れる扉 雪の被るSL5−96 窓ガラスの割れた扉
窓ガラスのわれた20系寝台車 風よけ雪よけの為にあるような20系寝台車 窓ガラスの枠のパッキンが垂れる20系寝台車
雪の被るSL5−96雪が吹き貯まるて20系寝台車


<ホーム説明看板から>

「59672号機」
この機関車は大正11年5月30日川崎造船所兵庫工場で製作された後、昭和3年2月26日池田機関区に配置替となり広尾線、士幌線で使用され、昭和50年廃車となったものです。
機関車諸元
製造年月日 大正11年5月30日 製造所 川崎造船所兵庫工場
機関車長さ・・・16.569m 機関車重量(運転整備)・・・60.35t 水の量・・13t
機関車高さ・・・3.813m 機関車重量(空車)・・・54.83t 石炭量・・・6t
機関車幅・・・2.616m 動輪直径・・・1.4m
走行距離2.537.498.3Km (地球を約67周したことになります)


現在、狩勝実験線跡地(旧根室本線)は馬も通行できる遊歩道に整備されようとしています。 その事業のワークショップに関わった住民達は一銭も出ないボランティアです。 一方で、そうではない行政担当者がこの期間中、3回もかわったそうです。 数年で配置換えのある行政職員。腰を入れて仕事ができているのが不思議ですが、さすが有能な人材がそろっているらしいです。

いつだったか町の広報誌を見ていると、町の予算の中に、旧新内駅客車処分(解体)280万円 が掲載されていました。

どうしてあそこにSLを持ってきたのだろう?

そこにはもう以前のような町は存在しません。


遊歩道入口にあるSL D−51


新得にはもう一台SLが、遊歩道の新得市街側(新得山スキー場入口)にあります。
毎年、新得機友会の方々(国鉄OBの有志達)が清掃していて、さらに屋根付の建物の中にあるせいでしょうか、状態は新内のSLとは月とスッポンです。 しかし、いずれ清掃に参加している人達も、さらに年を取って参加が難しくなることでしょう。 その時は新内のSLと同じ運命を辿る事にはなりはしないかと少々心配です。

人の作ったものはいずれ古くなり、手入れしなければ朽ち落ちる。

そういえば新得町にも結構なハコモノと呼ばれるものがあるので、 間違いなく、いずれそれらも古くなっていくことでしょう。 何千万何億という予算は出ても、もっともっと小さい額の予算は付けたがらないようですので、 結局は最終的に手入れの怠たった、そんな古くてみすぼらしく変化したハコモノ達の運命は新内のSL同様、短絡的に潰す結論を出していくのでしょうか。


(2003/3/9)

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