新得町は北海道の重心らしい。
後に、新得町もヘソの町富良野には負けたくないのか、駅前に重心のモニュメント(やじろべえ)を建てました。
やじろべえは可愛いけれど、ニワカテッチャンの私としては、新得町はやっぱり鉄道の町だと思ってしまいます。
今ではほとんどの人に見向きもされない「火夫の像」。
新得駅前の大型バス駐車場の横にそれはあります。その昔、駅と共に歩んで来た商工会が建立したそうです。
どうして火夫がモチーフされたのかは知りません。でも、華やかな機関士ではなく石炭まみれの機関助手がそこに建てられたことにある意味感動します。
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1981年(昭和56年10月1日)石勝線開通。 1907年(明治40年)鉄道開通以来ともに歩んで来た町、その記念として商工会が建立。 レンガ練積みの台座正面には59618号の煙室戸がはめこまれている。 10月3日除幕式。 (新得町百年史 新得町長 斉藤敏雄 から) |
| 新得駅にある 火夫の像(広瀬隆之揮毫) <機関助手ははじめの頃 ”火夫” といわれた。> | |
役場横の公民館の前にはSL動輪碑があります。
1966年(昭和41年)新狩勝トンネルが開通するまでの59年間、蒸気機関車が険しい狩勝峠を越えていました。蒸気機関車がディーゼル機関車に変わり、根室本線が石勝線に変わり、国鉄がJRに変わりました。
3重連にして険しい狩勝峠を越えていた蒸気機関車の姿は写真でしかしリませんが、見ているだけで力が入ります。その後ろには必死で石炭をくべる火夫の姿があるからかもしれません。
今、スマートな振り子特急になってそんな人達も必要なくなってしまいました。
本当に静かな駅です。
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道東の発展に多大の貢献を果たした蒸気機関車は交通機関の近代化により崩れ去ったが、
ダイナミックな雄姿を懐かしく思う心は限りなく尽きない。
その往時を偲ぶよすがとして狩勝越えに活躍した機関車の動輪を国鉄当局より譲り受け、
町内各所に展示しているのである。 (新得町百年史 新得町長 斉藤敏雄 から) |
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役場公民館の前にある |
新得小学校正面にある |
実はもう一つ、新得小学校の正面にもD51型SL動輪があります。小学校にそんなものがあることに疑問など持つ先生や生徒が居るのか居ないのか、それはごく自然にそこに居座っています。
いったいSL動輪がある小学校って全国にどのくらいあるのでしょうね。
| 今年新得小学校は開校100周年となりました。 お決まりの植樹もありました。 普通ならどこかの歌の歌詞のように校庭の片隅に植えられるだけの植樹も、 今回、今ではすっかり線路も無くなっている旧根室本線跡地沿い1キロメートルほどにも植えられました。 ヘルシーロードと呼ばれるその道は私達が忘れた頃には木のトンネルになる事でしょう。機関車に代わって人や自転車そして馬達がそこをくぐっていくことでしょう。 | ![]() |